GEN-SUNのブログ

海と音楽がライフワーク

「海に愛された男たち」本文抜粋の続き続きーっ。

今日、インターネットブックを見た。
セブンアイ、ツタヤ、アマゾンに僕の本が紹介されていた。
それも☆☆☆☆☆で紹介されている。
売らんかな主義じゃあなく本当にいい本なのでぜひ読んでください。
本文抜粋をお届けします。


〔プロローブ〕

木村 健治(通称ケンジィ)

このエッセイ集は、ヨッちゃんという愛称で親しまれている吉川元(よしかわはじめ)、若い頃からケンジィと呼ばれている私こと木村(きむら)健(けん)治(じ)、そして、大切なお客であり友人でもあるクラブメンバー達が体験した貴重なエピソードが構成の中軸をなしている。

さて、マリンレジャーという枠組みの中に位置づけられているスクーバダイビングであるが、私たちはスポーツとしてとらえている。
スポーツは野球であれサッカーであれ、ほとんど全てに危険が伴う。
ましてや、海という大自然を相手にして通常の呼吸ができない世界に挑むスクーバダイビングにおいてはさまざまな危険が潜在している。
それをしっかりと理解したうえで臨むと海は胸躍る感動を与えてくれる。


吉川 元(通称ヨッちゃん)

昭和時代から平成時代に移り変わる頃、ダイビングシーンは大きく変貌を遂げた。ダイビングスタイルもそうだが、一部の潜水機材は著しく進歩を遂げた。
特にダイビングコンピューターといわれる時計型の潜水プログラムを内蔵した機材がそれだ。ダイコンとも呼ばれているこの機材は水深と潜水時間の管理が容易にでき、浮上速度の警告機能も付加された画期的ともいえる潜水機材である。
このダイビングコンピューターがダイビングの深度限界を大きく引き伸ばす役目を果たした。
初心者がスクーバダイビングを楽しむ水深は最大で二〇メートル以内とされているが、この機材の出現でそれはもはや昔の考え方となった。
昭和期においてはビーチからのダイブトライが主流を占め、ボートダイビングの特別講習を受けていない初心者にはボートからのダイビングが許されなかった。
ところが、近年ではその状況が逆転し、どのレベルのダイバーでもボートからのダイビングが容易にできる環境が整っている。
沖合の水中環境のほうが格段に視界も良く、地形もよりダイナミックで、魚影や生物の数が豊富なこととボートからのトライのほうがダイバーに体力的負担が少なくて済むことからこの手法が人気を集めたのは当然の成り行きといえる。
そうなると、初心者ダイバーもボートダイビングをする機会が多くなり、おのずから水深のある水中世界を経験する機会が増える。
また、サービス側の受け入れも柔軟になり、特別講習を受けなくても二〇から三〇メートルのディープダイビングができるポイントに連れて行ってもらえるようになった。
特に、海外では初級ダイバーが一人前のダイバーとして扱われるとともに、安全責任はそのダイバーに嫁せられている。
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生来、おせっかいな性格がダイビングインストラクターに適していただけで、決して飛び抜けた才能が僕にあった訳ではない。
自分のことはまるで見えていないのだけれど、外の世界に対しては思いのほか用心深く、割りと細かいところに目の届く性格が効を奏したのだろうか、人からは天性とおだてられながら多くのダイバーを育てさせてもらった。
同じチームのダイバーのエア残量が乏しくなった時、安易に水面へ垂直浮上することを僕は決して奨励しない。
何故なのか。
それは、〈水面が一番危険な場所〉と考えているからだ。
水中の穏やかさと裏腹に、水面は風が強く吹けば荒い波が立ち、遊漁船等の船舶が頭上を往来することも少なくない。
風波が立つ海域に浮上して波に洗われたあげく、恐怖心から冷静な判断ができなくなってパニックを起こしたり、船のプロペラに巻き込まれて怪我をしたり、果ては命を失ったりする事故も増えている。
垂直に浮上するのは万策尽きた最後の手段として残しておくべきだし、その際には細心の注意を払わなければならない。
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●エピソード一〔古座 ブラックトンネル〕奇跡のアンカーロープ 

木村 健治

和歌山県古座の一級ポイントであるブラックトンネルをオープンウォーターレベルも含め総勢十二名で潜った。
最大水深四十三メートル。
幅八メートルのスリットの白い壁に沿って進むと、ぽっかりと口を開いたトンネルの入り口がある。
このポイントは実に荘厳且つダイナミックな自然の造形物で、潜るたびに気持ちの高ぶりを抑えることが出来ない。
もちろんヨッちゃんがリーダーでファーストに初心者レベルを配し、水深二十二メートルをキープしながらトンネルに入ったその時、前方の一名が急に沈み出した。どうも尋常ではない。古参のメンバーでダイブマスターの石原君と目が合った。
「A君ちゃうか。あかんぞ、どうすべえ」
瞬時に体が動いて沈んで行くA君に追いつく。
水深は四十メートル。マスク越しに彼の目を見た。意識はしっかりしている。直ちに安全水深へ浮上を開始した。Å君はウルで一番体格が大きいものの肝っ玉は至って小さい中年メンバーである。
最近、レスキュー講習でリフティングを習ったばかりだったことから、セオリー通りに自分のBCジャケットのエアを抜いて、相手のジャケットのエアを入れながら少し浮上しては抜き、また、少し入れては浮上しを繰り返して浅場へ誘導した。
何とか水深十五メートルの岩場に座らせて残圧をチェック。エアは充分残っている。ふと気配がしたので振り向いたところ、なんと私のバディである山下雅美さんがヌーッと側にいるではないか。
彼女はアドバンスドダイバーの中では上手な部類の女性メンバーで、コンピュータープログラマーを職業とするだけあって緻密なダイビングを好む。
彼女はバディシステムを忠実に実行して懸命に私を追いかけて来たのだろう。とはいえ、ここはどこ
状態で我がチームの姿はヨッちゃんと共に消えていた。
その上、透明度が良くないので何処にいるのかさっぱり分からない。たとえ分かったところで、その
当時の私のレベルではアンカーの位置を把握できるはずもなかったのであるが。
「とにかく、二人を連れてボートに戻らないと」
水面に浮上する際に流されることを考えに入れ、出来る限り流れの上(かみ)に移動してから浮上する方法をとった。
私たちは流れに向かって水深一〇メートルをキープしながら中層を進んだ。正確には覚えていないが五分ぐらい経ったかと思う。
何と、スーッと目の前にアンカーロープが現れたのだ。
奇跡が起こった。大げさに聞こえるかもしれないが、私にはその時のアンカーロープがまるで天からの命綱に思えた。
私は二人を船に上げてメンバーたちに尋ねた。
「あれっ、ヨッちゃんは」
「みんなを上げてからケンジィを探しに行ったよ」
石原君が答えた。
もう一度タンクを背負い直して私は水中に戻った。
トンネル近くの棚でヨッちゃんと合流できたのが嬉しくて、思わず大きなOKサインを出してみた。何故だか彼は怒っている。
「何を怒ってるんや。ちゃんと二人を連れて帰ってきたやないか」
レギュレーターをくわえながら私はぼやいた。
「はぐれた地点に戻って来いよ」
ヨッちゃんは、怒りのフィンガーサインを出しながらカッカしている。
「初めて潜るポイントで分かる訳ないやろ」
レギュレーターをくわえながら、またぼやく私だった。
このあと、陸に上ってから喧々諤々の議論が何と二時間以上続くことになる。

二人だけの車中でヨッちゃんが口を開いた。
「A君が沈み込むまでアクションを起こさないのは怠慢と違うか?」
「彼は前列やったから追いかけるまで時間がかかったし、ヨッちゃんも気がつけへんかったやないか」
私がそう反論すると、尖った言葉が返ってきた。
「俺が前を向いたすぐ後の出来事や。何のためのサポートやねん」
「一生懸命サポートしてA君に追いついたやろ」
「沈み込んでからやったら遅いわ」
ヨッちゃんに言われて私は絶句してしまった。彼がトーンを落として追い討ちをかけてきた。
「前から感じてたけど、健治のサポートは上にシフトし過ぎる。チームの二メートルぐらい上にシフトしてくれんと突発的なトラブルには対処でけへんのと違うか。それに、はぐれたとしても、はぐれたところに戻ってくるのがセオリーやろ。セオリーどうりに行動してくれんとオレが持たんわ」
「はぐれた場所が分かったら帰ってきてるわ!」
私の吐き捨てるような言葉にヨッちゃんは黙り込んでしまった。
それ以来私は、ダイビングツアーが終わるたびにしつこくコース確認やダイビング理論等の質問攻めをするようになり、ヨッちゃんをうんざりさせることになるのである。