GEN-SUNのブログ

海と音楽がライフワーク

ダイビング記録書き下ろし「海に愛された男たち」のエピソード潜行走破50キロの始まり始まりーっ

いよいよダイビング新記録の場面が登場。
著書の核をなす逸話が始まります。

写真は記録チャレンジ深夜の船上の様子です。かなり波が高く、男性スタッフは
全員船酔い状態だったとのこと。
新聞記事は、記録達成後に大阪に帰って事務所での仕事中に取材を受けた内容で
す。

さて、本文は長編につき・・・・・・の部分が多くなり、何回かに分けての紹介
になりますがご辛抱ください。

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夜間の連続潜水時の船上の模様(3mほどの波が船をもてあそんでいたそうだ)



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〈著書抜粋〉

●エピソード二四〔和歌山 白浜沖〕潜水記録樹立「潜水走破五十キロ」

吉川 元

一九九一年一〇月二十五日から二十六日にかけて樹立した記録だが、それが僕のダイビング人生を大きく変えた。
実行日の前日、和歌山海域は一見穏やかで青空が一面に広がっていた。
和歌山のダイビングサービス〈シーマインド〉に電話をかける。このサービスの責任者である湯川の息子さんが電話口に出た。
「ここ毎週末、台風の接近で荒れ気味やったけど今日はええ天気です。この分やとやれそうですね」
そう報告してくれた彼に礼を言って電話をきったあと、思わず僕はガッツポーズをした。
今日は、ウルダイバーズクラブの三周年と潜行記録の前夜祭を兼ねて西宮ヨットハーバーに集合している。五十三フィートのクルーザーをチャーターしての船上パーティは最高潮に盛り上がっていた。
いっぽう、和歌山県みなべの漁師さんたちは明日を境に下って行く天候を見て出港できない可能性もあると考えていたのだった。
明けて二十四日、私はメンバーより一足先に〈シーマインド〉に到着した。
ダイビングメーカー各社の協賛機材の積み降ろしを終えて、漁師さんのリーダーである湯かっちゃんこと湯川勝二さんと会うために堺漁港まで出かけて行った。
湯かっちゃんは見た目に機嫌が悪かった。
「みんな来たんか」
 仕事の都合で順次到着する事を告げると、むっとした顔でぼそぼそと怒り始めた。
「船は出せんかも知れんぞ。人間の都合で日和は決まらんわ。日和に人が合わさんとこんな事はできんわ。わしら、朝から準備してあんたらを待ってたんやで。都会のもんは自分で日和を決めよる」
 安穏としている都会ダイバーへの歯がゆさと天候の急な変化が湯かちゃんを怒らせている。当の僕は言葉を失って何も言えなかった。
「十六時の天気図を持って来るから、それからやな」
もう一人の漁師さんの磯さんが助け船のような言葉を残して漁協へ走ってくれた。
湯かっちゃんの黒く焼けた顔が笑うとおたふくのような目になって、何とも可愛いおじさんなのだけれど、今、海を見つめているその目は鋭い光を放って人を近づけない。
磯さんが漁協から気象図を持って帰ってきてくれた。
波止場の地面に天気図を広げて四隅に小石を乗せての予報談義が始まる。
「こりゃ、一〇日程たたんと日和が戻らんな。十一月に出直さんか。風も吹いとるしなあ。そう思わんか、磯やん」
湯かっちゃんが磯さんの顔を覗き込んでいる。磯さんは黙ったままだ。
「この前線は磯さん、明日の何時頃に通過しますか。」
僕は磯さんに尋ねた。
「九時頃かのう」
 磯さんが沖を見てひとこと言った。
「なら、この高気圧は少なくても一日半は持ちますよね。このあとの低気圧が通過すると三日ほどは確実に崩れる。で、次の高気圧の風がかなり吹くとなると、もう今年はトライできないですね。それに、十一月一〇日を過ぎると二十四度ある水温が二度から三度は下がる。そうなったら長時間の潜行は不可能です」
湯かっちゃんは僕の言葉が聞こえていない様子で、腕組みをしたまま気圧配置図を見て動かない。
「どうでしょう、湯かっちゃん。明日の朝、沖を見に行って波が高くてダメなら諦めます。風の気配が少しでも良ければですが、この一日半の間髪を狙って何とかトライさせてくれませんか」
天にすがる思いで、湯かっちゃんの言葉を待つ。泣きそうになるのを僕は懸命にこらえた。
長い沈黙の後、磯さんが静かに口を開いた。
「明日の朝、八時ぐらいに沖を見てきてやるわ」
「ありがとう御座います、僕も行きます」
湯かっちゃんがゆっくり首を縦に振った。僕は港を出て宿に向かった。涙が止まらなかった。
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これでメンバー全員が顔を揃えた。
良き先輩であり友人でもある〈スキー&マリンインフィニティ〉の荒木健二氏は、メンバーたちより早い時刻にこのトライのジャッジマンとして駆けつけてくれている。
思えば、ダイビングサービス〈シーマインド〉のオーナー、湯川益至さんとの運命的な出会いはたった一枚のダイレクトメールからだった。
みなべ町は串本や白浜ツアーの際にいつも通り過ぎていた場所で、そんなところにサービスがあることすら知らなかった。
遠出に疲れていた僕は近いことが何よりも有り難かったので、リサーチがてらにみなべツアーを組んだのである。
期待せず潜った海に僕は驚いた。何とダイナミックな地形なのか。また、魚影も半端じゃない紛れもなくレベルの高い海がでんと構えていたのだ。
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縁を紡いで、このチャレンジの最大の理解者である湯川益至氏に目をかけてもらうこととなったわけだ。
〈シーマインド〉の直営民宿に泊って酒盛りをしていると、湯川益至氏が顔を出してくれた。
「みなべの海を知らんダイバーが多い。わしらもサービスをして間がないからまだまだこれからや。吉川、みなべの海の世話頼むで」
会うたびにそう言って、気さくな笑顔でお酒を飲んでくれる。
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九月のツアーもみなべへ繰り出し、湯川の親父さんと酒を囲んでの夜更かし談義に花を咲かせていた。
「僕はやりたいことがある。まる一日かけて、どこまで潮の流れに乗って行けるか試したい」
そんな僕に向かって、あるメンバーが言った。
「また途方もないこと言うて。死んでしまうで。いいや、その前にお金かかるで。どこまで行っても貧乏ダイビングクラブの見果てぬ夢やな」
「そんなこと無い。一心岩をも貫くや。もしかしたら、脳天貫くかもわからんなオレの場合は。ははは・・・」
僕はすでにヨッパライであった。
「吉川さん、始めから脳天貫いてるで」
友松さんが突っ込みを入れてくる。奴の悪い癖だ。
三〇分以上その話を引きずっていただろうか。急に湯川の親父さんが後ろから僕の肩を抱いて顔を覗き込んだ。
「おう、吉川。それ、やるんやったらやってみい」
あとはエピソード七に書いた通りの展開である。
(明日に続く・・・)