GEN-SUNのブログ

海と音楽がライフワーク

「海に愛された男たち」が本屋さんに並んでいました。

昨日の日曜日、梅田に出たので紀伊国屋さんを覗いてみたら「海に愛された男たち」が5冊入荷していました。思わず携帯で写真を撮ってしまった僕です。

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紀伊国屋梅田に並んでいたのを撮影


〈著書抜粋〉

●エピソード二四〔和歌山 白浜沖〕潜水記録樹立「潜水走破五十キロ」(このエピソードのラストです・・・)

吉川 元

そして、僕たちの前後左右と忙しく位置を変えながら後を追うようについてきたアジ科であろう幼魚が2匹、かなり長い時間、ふたりを楽しまてくれた。わずか五センチの大きさといえども立派に魚なのだと、妙に感心させられたひとときだった。
「船に帰ったりかさんはヒンシュクものやな。海からのプレゼントを独り占めにしたから」
僕は彼女がゆっくりと水面に消えて行くのを眺めながら、夜の訪問者たちに感謝した。
夜の海がまた静けさを取り戻した。潜行深度を十二メートルに保持しながら、ぽつんと上層に浮かぶ灯りをひとりで見つめていた。孤独感が僕に襲い掛かって来る。とても寂しい。

孤独と仲良くなりかけたそのとき、稲垣君のドライスーツを着た誰かがドタドタと降りてきて、バタバタと僕の前を通り過ぎて行った。その誰かは僕のマスクと水中電話をフィンで蹴散らした挙句、限りなくパニクっている。マスクの中を覗き込むと斉藤悦範君だった。
今度はロケットのごとく帰って行った。またしても、僕のマスクと水中電話は彼のフィン攻撃でまたも蹴散らされた。

一〇回目の水分補給のために浮上した私はすでに正気を失っていた。ただただ、りかさんに食ってかかっている。
「なに? さっきは四十七キロって言うてたのに、何で今、四十四キロなんかな!」
「水分補給とドライスーツに着替えた間に流された距離を引いたら四十四・四キロになるの」
「そんな距離引くなよ。ドリフトしてるんやからプラスして当然やろ」
「よく言うよ、ヨッちゃんが引けって言うたんやないの。ヨッちゃん・・・本当に大丈夫?」
結局、三・二キロ分のデータは抹消された。体温は三三・六度。潜行深度は三メートル。
 
二十六日、五時五〇分。夜が明け始めてきたのが水中にいても分かる。居眠りと記憶の途切れはひどくなるいっぽうだ。体温は三二・五度。
もう限界だった。眠り続ける僕を見ているもうひとりの僕がいた。すべてのものが遠くに感じて世界がモノクロームになっていく。

朦朧(もうろう)とした意識の中、はるか彼方で声が響いた。
「吉川さん、聞こえますか。五〇キロまで、あと五〇〇メートル!」
川口氏の声だった。僕は最後の力を振り絞って現実の世界に戻ろうと何度もこぶしで頭を叩いた。
視界に海の青が戻ってきた。
「あと三〇〇メートル・・・あと二〇〇メートル・・・あと一〇〇メートル!」
意識がはっきりとしてくる。心が躍った。
「五十キロ達成! 達成しました!」
一九九一年一〇月二六日、七時四十二分。
りかさんが飛び込んできたのは、まさに五〇キロ達成の交信と同時だった。彼女が水中で握手を求める。僕は強く手を握り返した。彼女の瞳がチラチラと揺れていた。

船上に上がった僕は潮見船の勝丸に左腕を大きく振りかざした。湯かっちゃんの横でジャッジ役の荒木氏が大きく手を振り返してくれた。
磯丸にも胸を張ってポーズをとった。磯さんはゆっくり顔を縦に振った。空は今にも雨粒が落ちて来そうな気配だ。
一〇時七分、堺漁港では報道関係者や陸上のサポートメンバーが、入港する僕たちを拍手と歓声で迎えてくれている。
陸上通信班の丸山博子さんが花束を手にしているのが見える。