GEN-SUNのブログ

海と音楽がライフワーク

海に愛された男たち 業務潜水編

エピソードⅡの業務潜水経験談です。


著書抜粋

●エピソード二二〔和歌山 椿山ダム〕ヨッちゃんが消えた

木村 健治

これは、河川環境調査の仕事で潜った時の出来事である。
和歌山椿山ダムでのダム本体の亀裂調査と透明度調査及びヘドロ堆積調査が業務内容だった。
以前、同じ和歌山県内のダムで潜ったことがあったのだが、その時の水中視界は結構きれいで水没した家の屋根や立ち木までがはっきりと見えて、不思議な感慨を覚えたものだ。
流れ込む川の水は本当に澄んでいて、ダム湖の中に川の道が一本走っているといった光景も見ることができた。
さて、潜水業務中にヨッちゃんとはぐれたことがある。ダム湖での潜水は海での潜水と異なり、独特の気持ちを誘発させる。
決して大袈裟ではなくて恐怖に似た孤独感を感じさせる。
迷子状態で途方にくれている私の前にボーッとヨッちゃんのシルエットが浮かび上がり、ほっと胸を撫で下ろしたこともあった。
ダム湖では水中視界が限られ、深度が増すと急激に水温も下がって全く周りが見えなくなる。
今回の仕事は小さなボートでダムの本体中央付近の壁際まで行き、ガイドロープを伝って潜水するというものだ。
ホワイトボードの撮影を繰り返して透視度を推し量るというものだった。私もダイビングを覚えてから知ったのだが、横の視界を透視度といい、縦の視界を透明度という。
ヨッちゃんと事前ミーティングをした。
「先に俺が潜降するから、三メートルぐらい間隔をあけてゆっくりと降りてきてくれ」
「一緒に降りへんの? 何でそんなに間隔をあけるんや?」
「健ちゃんに頭を蹴られながら潜るのは絶対避けたい。着底したらスケールでヘドロの堆積を測定してそこに待機。オレは壁面を目視確認して戻る」
「この俺がヘドロの測定? できるかな・・・」
「してもらう」
 事務的なヨッちゃんの声だ。
「健ちゃんと合流して、オレが先に浮上しながら三メートルごとにフラッシュを二回焚(た)く。要するに二回撮影する。それが確認できたら三メートル浮上してくれ。同じ繰り返しで水面まで撮影する」
 無言でいる私に顔色を変えず彼は話を続ける。
「高所潜水での三十三メートルは平地での四十メートル潜水に相当するので、六メートルと三メートルでかなりの減圧をする。必ず水深六メートルで合流すること。背負うタンクは一〇リットル容量やし、結構な時間を減圧停止する予定やから残圧はきっちり残しておいてくれ」
「俺に出来るかな・・・」
「いや、してもらう」
恐る恐る答える私に、ヨッちゃんのクールな返事が返ってきた。
 
不安いっぱいの私に反して、余裕のヨッちゃんはかっこよくエントリーした。
潜降ロープには三メートルごとに印がついているので浅いところは何とかではあるが深度の確認ができた。しかし、十メートルを過ぎたあたりから暗くなり始め、二〇メートルを過ぎると何とも言えないくらい視界の悪い世界に入ってきた。下にヨッちゃんがいるので慎重に下りることだけに気を配った。
底に着いたと思われるがヨッちゃんはいない。底に着いているのだけは間違いない。業務用の水中ライトを点けていても自分の水深計や残圧計すら見えない。急に動きが取りにくくなって非常に体が重たく感じる。これってヘドロに体が埋まってしまったということなのか。
取りあえず二メートルのスケールを突き刺してみた。ズブズブと入っていく。全部突き刺しても固い地盤には届いていないことだけは分かる。二メートル以上ヘドロの層厚があるようなのでこのスケールでは測定不能だ。
真っ暗ではないけれど水中ライトはぜんぜん役に立たない。
「いったいヨッちゃんは何処へ。俺はどうしたらええねん。エアは大丈夫かな」
弱腰になってうろたえているとロープに合図がきた。クイクイと上からロープを引っ張っている。
「えっ、ヨッちゃん上におるわ。 何で上やねん?」
そう思いながら三メートルごとの浮上を試みるが、上を見上げても視界が悪いためにフラッシュなんてとうてい確認できない。
また、クイクイと合図がきた。私は三メートル浮上した。何度かそれを繰り返してようやく十五メートル付近でヨッちゃんのフィンらしきものが見えてきた。
「ヨッちゃん、やっぱり上やった」
九メートルで予定外の合流となった。胸の鼓動が躍(おど)っていた。
彼はより安全率をとって九メートルレベルから減圧停止をし始めるとのことだ。残圧を常時確認しながら六メートル、三メートルと、減圧停止を繰り返して水面に浮上した。
やっと仕事は終わった。
帰りのワンボックスカーの中で、ヨッちゃんに問いかけた。
「底、ひどかったなあ。何にも見えへんかった」
「あんな状況、いつもやで」
「下におれへんかったのは何で? 待ってくれると思ってたんやけど」
「健ちゃんに頭蹴られんのは避けたいし、バタバタされたら濁りが増すからすぐにロープを離れて壁の調査を始めたんや」
「ガイドロープ離したんか」
「そうや、カメラ持ってるしな」
「嘘やろ? あの状況の中でロープ離されへんで。ヨッちゃんが戻ってきたとき、底で会えへんかったのは何でや」
「健ちゃんの三メートルぐらい上でロープに戻ったんや」
「えー、あんな泥水みたいな、ゲージも見えへんような中でそんな芸当できるんか」
「できたからここにおるんやろ。実はな、健ちゃんには言わんかったけど、何日か前、他の業者がこの仕事を請けたんや。そしたら一人のダイバーが急浮上を起こして事故ったらしい。それで代わりにオレが請けることになった」
「ダムは怖いんやな」
「まあな、普通のダイバーやったらあの状況ではパニクって当然かも。それにしても、よう頑張ってくれた」
ヨッちゃんはどんな事態でも平常心で仕事をやってのける。当の私はパニックにならなかったとはいえ、ただただ潜っていただけで何の手助けにもならなかった。でも不思議なダイビングだった。
何度も言いたくはないが、またヨッちゃんのすごさを思い知らされた。